2007-10-26 00:09 | カテゴリ:未分類
そして小学校6年の秋に生まれ育った茨城県水戸市から栃木県足利市へ引っ越しをした。
転校した小学校はその頃マーチングが盛んな「千歳小学校」だった。
それまで運動会での鼓笛隊(打楽器とリコーダー)しか経験したことのなかった私だったが、音楽は好きだったので千歳小学校のトランペット鼓隊に入部した。
しかし中途半端な時期だったため当然中途半端なことしかできず、少しコンプレックスを味わった。

そのせいもあり、第三中学校に進学したとき、「吹奏楽部」に大した興味も持たず「手芸部」に席を置くことにした。
手芸はもちろんん得意だったし、運動は嫌いだったので気楽な部活として最適だった。(ちなみに転校する前の小学校では文芸部に所属し、小説の執筆経験もある=内容は覚えているが原稿は保存していない)

この頃、音楽との関わりは授業だけだったが、吹奏楽の顧問もしていた音楽の担当教諭はユニークな授業をする先生で、授業中に自ら「チゴイネルワイゼン」をヴァイオリンで弾いてくれた。
クラスの中で曲名を知らない生徒も大勢いたが、私は母のおかげでこういう曲名は結構知っていた。

こうして1年近くを手芸部で過ごしたが、クラスで仲の良かった吹奏楽部の子と過ごすうちに一年生の終わり頃、吹奏楽部に入りたい気持ちが芽生えた。そして手芸部の顧問、吹奏楽部の顧問にお願いをし、めでたく吹奏楽部員となったわけだが、このときの先生にお願いに行った状況は記憶にあるものの実際にいつなのかはまったく覚えていない。ただ一年生の終わり頃、という記憶があるだけだ。

その時「クラリネット」という楽器を選んだのは、その時仲の良かった子がクラリネットをやっていたからだ。先生もクラリネットなら人数が多少増えてもあまり影響がないと考えたのか、特に楽器については何も指導がなかった。ということで私と「クラリネット」の出会いが「何となく」始まった。

中途入部にも関わらず何とか2年生になりクラリネットも少しは吹けるようになった頃、友達に「足吹」に誘われた。

次回に続く
2007-10-25 00:56 | カテゴリ:未分類
しばらくさぼってしまいました。

足吹の今ネタだとどうも滞りがちになるので、気分を一新して「私と音楽」みたいなネタにしてみようと思う。
私の人生(まだほんのわずかだが??)と音楽の関わりを綴る予定。
といっても中学校2年生の終わり頃から足吹と関わっているので、ほとんどが足吹での音楽の歴史になると思う。
良い意味でも悪い意味でも自分史のようなものだし、ぼけないうちに書いておこう。

私と音楽の出会い
実は私はあまり記憶力が良くない。
気づいたときに音楽が身近にあった。これは母の影響かと思う。母が音楽好きでなぜかクラシックのレコード、今思うとホームミュージックのレコード(ソノシートかも知れない)があり、色々聞いていたようだ。
小学4年生か5年生の時、カワイのオルガン教室に妹と通い始め弾く楽しみを覚えた。
たぶん最後に出た発表会でどこからか見つけてきた「スケーターズワルツ」をオルガンで合奏したような覚えがある。編曲もどきの事もしたかも知れないが、詳しいことは覚えていない。
教科書の最後の方に参考で掲載されている合奏用の楽譜をオルガン数台で演奏した(かな?)。

この頃歌も大好きだったので、学校の選抜コーラスの代表に選ばれたりしていた。これは今もレコードが残っている。
仲の良かった女の子と、これも母が持っていた「世界の唄」という本で英語やらイタリア語やらの歌詞にカタカナがふってあるのを良いことに歌いまくっていた。
二人して「選抜コーラスのメンバーに選ばれなかったら、私たちはコーラス向きの声じゃないんだろう(ソリスト向きの声なんだろう)。」と事前に話していたが、なんて言うことはない。コーラス向きの(ソリスト向きではない)声だったらしい。

続きは次回